国会と内閣の責任において、広島と長崎の被爆者の全面救済につながる方策を示せ

pdfのダウンロードはこちら

 9月9日、長崎地裁は、被爆者健康手帳の交付を求めた「被爆体験者」訴訟で、原告15人を「被爆者」と認め、残り29人の請求を退ける判決を下した。長崎原爆では、爆心地から7.5~12kmの範囲内にいた人は「被爆体験者」とされ、国の補助事業や法外援護の対象ではあるものの、被爆者援護法の対象外に置かれる。これまで二度の訴訟で敗訴した「被爆体験者」らが、三度目に起こした裁判の結果である。

 2021年7月の広島高裁判決は、「黒い雨」のみならず、内部被ばくの可能性にも触れ、原告全員を三号被爆者と認めた。広島高裁判決に沿うならば、「被爆体験者」についても放射線による健康被害の可能性が否定できなければ「被爆者」とすべきであり、「灰そのものが放射性物質であったか否かは定かでなく、…的確な証拠も存在しない」と断じ、「黒い雨」が降った(放射性降下物があった)と立証された3地域についてのみ手帳の交付を命じた地裁判決はあまりに非情ではないか。判決は、原爆投下50日後に米軍が広島・長崎で行った「マンハッタン調査団」の調査結果についても、信頼性が低いと切り捨てている。長崎県保険医協会が判決後に発表した抗議声明は、証言集の降雨体験割合や「長崎の黒い雨等に関する専門家会議報告書」に「未指定地域全域で黒い雨が降ったと認められる」をあげて、判決の不当性を指摘している。長崎地裁は、広島高裁判決をなかったものとして、「被爆地域外で雨が降った客観的な記録がない」としてきた国側の主張に合わせたとしか言いようがない。

 1980年、当時の厚生相の諮問機関は、被爆地域の指定について、「科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行うべき」とした。被爆者が繰り返し提訴するなかでも、この姿勢を維持し、2023年から実施した被爆体験記の調査でも、「降雨などを客観的事実として捉えることはできない」と結論付けている。広島高裁判決はこの科学的知見について、身体に放射能の影響を受けるような事情の下にあったかどうかを判断するにあたっては、健康被害が生じることを否定できるかどうかという観点から用いるべき。最新の科学的知見で、健康被害が生じる可能性を否定できなくなったのであれば、つまり健康被害の可能性が生じたのであれば、被爆者認定して健康管理の対象とし、被爆者の不安に応える措置を講じるべきとした。政治・行政における科学的知見の用い方に一石を投じた広島高裁判決は、原爆被害のみならず、放射線被害や公害被害にも適応しうる貴重な判断であり、これを無視した浅慮な判決によって広島と長崎の被爆者を分断することは許されない。

 1963年12月7日、原爆投下を国際法違反と判断した東京地裁判決は、「国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだ」と指摘し、その責任は立法府である国会と行政府である内閣が果たさなくてはならないと言及した。この判決が大きく影響して、その後、原爆特別措置法(1968年)、被爆者援護法(1995年)が設けられた。長崎の被爆者援護は、南北12km、東西7kmと、明確な根拠もない行政区画で線引きされている。新基準となってからの広島でも、新たな線引きによって対象外とされるケースが生じている。今、国、県・市には、1963年の東京地裁の指摘に、あらためて真摯に向き合うことが求められている。広島高裁判決に立ち返り、一刻もはやく、広島と長崎の被爆者の全面救済につながる方策を示すべきである。