原発事故から10年~未来への責任を自覚し、命と健康、生活を守る「原発ゼロ」政策への舵きりを~

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東日本大震災から10年が経った。道路や住宅の再建が進み、被災地の生活が落ち着きを取り戻したかに見えても、決してそうではない。

祝島周辺の海を守ろうと始めた連載「原発よりも命の海を」は、今号で126回を数える。振り返ると、2011年4月から、東京電力の原発事故が多く取り上げられてきている。当時こそ、内部被ばくをはじめとした放射線の影響を問題視するものが多かったが、その後は避難者の生活補償、除染で取り除いた汚染土や増え続けるトリチウムなどの放射性物質を含む水の処分方法、原発事故処理での労働など様々な問題が指摘されてきた。そのどれもが、解決どころか複雑化、肥大化しているようにもみえる。

原発事故から5年後の寄稿に、「復興政策の影響は地域・個人等の間で不均等にあらわれるとともに、住民の間に複雑な分断をもたらしている。これは復興政策による二次的被害といってよいだろう」とある。300㎢を超える範囲が「帰還困難区域」とされ、2万人以上の住民に避難指示が出されるなか、優先的に除染する地域を限定し、「特定復興再生拠点区域」とそれ以外の地域に分けたうえで避難指示解除をすすめる。積みあがる汚染土と除染費用が、新たな不均衡を生じさせたといえるのではないか。

 民間シンクタンク「日本経済研究センター」は、東京電力福島第一原発事故の対応費用を総額81兆~35兆円と試算した。国の試算と比較すると賠償額には大差ないが、廃炉・汚染水・除染費用で5倍もの開きがある。国の試算は先の見えない除染をどこかで区切る数字ではなかろうか。100ベクレルと定めた食品の出荷制限規制値も、規制値を緩め、100ベクレル超のセシウムを含む食品を流通させることが与党内で検討されているという。基準を上げることが新たな風評を生み、生産者を再び苦しめることになりはしないか。「復興」という言葉で思考を停止してはならないと痛切に感じる。

 事故調査をすすめていた原子力規制委員会は、今年1月、ベントの配管が根元で止まっており、外部に出るはずの放射性物質が排気筒の中に蓄積していたと報告した。事故前から存在した設計の不備である。また、2月13日に発生した地震の影響で損傷部分が拡大し、原子炉がある格納容器の水位が低下していることがわかった。3号機建屋内に設置した地震計の故障が放置され、この地震が記録できていなかったとも報道されている。柏崎刈羽原発では、テロリストなどの侵入者を検知する設備が複数故障、対策が十分機能していなかった問題が最も深刻なレベルに当たると評価された。国は、除染に要する費用を東京電力の株式売却で賄うことを決めているが、5倍の値で売却する目標が実現するとは到底考えられない。果たして、東京電力には重大事故の処理が担えるのか。担えなければ免責されるのか。

 2010年に総発電量の29%を占めていた原子力発電は6%(2020年)となり、再生可能エネルギーの割合は21.7%に達している。世界の国々、特に欧州では、年間発電量の30%を超える国も多く(デンマークは84%)、環境問題から日本の石炭火力発電に向けられる目も厳しいものがある。化石燃料資源の乏しい日本だが、自然エネルギー資源は主要工業国のなかでもっとも豊かであるともいわれている。イタリアでは、2011年の国民投票で、9割の反対が示され、脱原発に舵を切った。ひとたび事故が起これば厖大な費用と労力がかかり、歳月をかけても取り戻せないものを生む。その責を自分が負うのだと自覚し、未来への責任を果たすために、命と健康、生活を守る選択をしなくてはならない。原発ゼロへ向け舵を切るべきだ。