大規模災害時の医療供給・支援体制の整備と、災害医療教育の充実を

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東日本大震災から8年が経過したが、被災地の復興は緒についたといえるのだろうか。昨年、広島で発生した豪雨の被害からもう少しで1年が経過するが、その実感はない。まるで衝撃的な映画のように、強烈な出来事は記憶の減退速度が遅くなるのではないか。昨夏、広島県保険医協会では、全国保険医団体連合会からの人的支援も受け、被災会員を訪問、県災対連の活動に参加し被災地での土砂撤去なども行った。全国の保険医協会から寄せられた支援物資や見舞金は、被害にあわれた先生方に「支援金」として届けた。先日、被災された会員から「診療再開の目処がたった」と連絡をいただき、復興が緒についたと受けとめている。

「コンクリートから人へ」という言葉があったが、防災については、ソフト面の支援とハード面の整備をバランスよく進める必要性がある。西日本豪雨で呉市の安浦地区、天応地区は大規模な土石流による土砂災害が発生、20名を超える方が亡くなる甚大な被害が発生した。呉市医師会では、呉市役所との連携など迅速な対応がとられ、救護所の開設を始め、道路や上水道等のインフラが各所で寸断された地区でも医療供給が継続された。このことは、今後の災害対策にも活かされるソフト面での大きな功績であろう。これらの地区での健康相談は、鹿児島県や佐賀県など他府県から応援に入った保健師らが担い、山口県看護協会が24時間体制の看護所を支えた。広島県介護支援専門員協会も介護支援専門員を派遣し、被災した在宅高齢者を訪問し対応にあたった。災害時に支援に入った他府県の医療救護の活動は、地元の医師会に繋がれている。災害という緊急事態であっても、医療供給は途切れさせることができない。例えば検査の検体の運搬、薬品の配送などに、ドローンを活用することはできないだろうか。道路が寸断されれば、スタッフの確保にも困難が生じる。災害時の医療供給に企業が参入し、AI導入の実証実験などに着手できないか。

災害の続く広島県は広島市など8市町村でつくる「広島医療圏」で、津波の被害の可能性のない広島共立病院を6番目の災害拠点病院に指定した。県下19の災害拠点病院には、国の主催する32のDMAT(災害派遣医療チーム)が組織され、災害発生直後の混乱した状況下での医療活動を担い、医療体制回復に向けた初期段階での医療供給活動を行う。病院であれば施設内でチームを組織、県からの指定を受け、個人単位ではトレーニングを受けた後に隊員として参加することも可能である。日本医師会が組織する「災害医療チーム―JMAT」が避難所や救護所での医療活動等を中長期的に担い、両者による被災地の医療供給体制が整備されてきている。

阪神淡路大震災の教訓から、災害現場へできるだけ早期に出向いて救命医療を行うことを目的として設置されたDMATは、JMATとともに、災害時の医療供給体制として力を発揮することだろう。しかし東日本大震災では、がれきに阻まれ現場に近づくことができないという事態も起こっている。大規模災害時の医療供給体制、支援体制の構築と併せて、災害医療のシミュレーションやその教育システムも並行して充実させていく必要がある。