生きる権利、人権が尊重される社会につながる一票を

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 まもなく実施される統一地方選では、県内で県議会議員と4市町の首長、6市町議会議員の選挙が実施される。前回の2019年選挙の投票率は44・02%(都道府県議選)~48・62%(市区町村長選)、広島県議会議員選挙の投票率をみると、第18回の41・71%より1・96ポイント低い39・75%と、国政選挙をさらに下回る低投票率となっており、住民の投票意識の低下が気にかかる。

 イギリスの法学者ジェームズ・ブライスは、「地方自治は民主主義の学校である」と述べた。民主主義国家では、国民が選んだ政治体制が国民の意見を反映させた政治を行う。住民が投票行動を通じて地方自治に参加し、住民の意見を自治体運営に反映させることは、民主政治の具体化であり、議院内閣制の国政に比べ、地方議会・首長選挙の方が実感しやすい。

 新型コロナへの対応では、ひっ迫する医療をどう守り、住民の協力をどうつくるのか、多くの自治体が腐心したことだろう。しかし公衆衛生行政のあり方が、住民の命を左右する事態を生じさせ、都道府県や自治体間の格差が問題視された。感染症類型の引き下げが迫る現状では、予想し難い影響のなかで住民の命と健康を守るという重要な舵取りを任されることとなる。広範におよぶ新型コロナの事業活動・生活への影響に、未曾有の物価高騰も重なる。住民のくらしや経済をどう支えるのか、感染症に対応できる医療体制を維持できるのか。選択する私たちの責任も重い。

 しかし地方議会・首長選挙は、地域が抱える課題だけが焦点ではないだろう。投票率や当落結果が国政に与える影響は大きく、とりわけ支持率が「危険水域」ともいわれる政権が、民意を無視してさらなる暴走のアクセルを踏むか、ブレーキをかけるか。防衛予算の倍増、原発回帰を伴うエネルギー政策、一方的で膨大な財政支出を伴うマイナンバーカード政策など、議会制民主主義を軽視した閣議決定が繰り返され、決まったことのように進められている。地域の医療実態や余裕のない医療現場を無視した病床削減は止まる様子もない。影響を与えたい政策は山ほどある。

 第2次岸田内閣の総務大臣政務官は差別的発言を重ねた責任をとり辞任した。それから間もない2月、今度は首相秘書官が、マイノリティ(社会における少数派)差別を理由に更迭された。現政権下での人権軽視は枚挙にいとまがない。さらに社会保障のお荷物とばかりに、高齢者に自決を求めるような人間がメディアで重用され、責任ある与党議員がそれを窘めるどころか、一緒に笑っている。間もなくG7が当地で開催されることとなっているが、LGBT差別禁止法がないのは参加国中で日本だけといい、国連人権理事会でも、日本に対し、「人権」や「差別」についての勧告が多く出されている。今の日本社会は、世界の人権水準から大きく遅れをとっていると言わざるを得ない。

 政治の究極の役割は住民の命と暮らしを守ることであり、それは「人権を守る」ことと共にある。物価高騰の中で実質賃金は目減りし、税・社会保障の負担感が増大する。非正規雇用は増やされ、子どもの貧困など、山積する重要課題が先送りされるうちには、多くの人が生きる権利を損なわれている。医療や介護の現場でも、患者や利用者の権利、医療従事者の働く権利が尊重されてこそ、持続可能な制度となり得る。誰もが等しく生き、生活する権利を守るための社会保障の充実があってこそ、誰もが生きやすい社会に向かうのではないだろうか。

 生きる権利が尊重される社会を、地方からつくる。地域の変化を社会の変化につなげる。人権を軽んじる社会を変える意識で、貴重な票を投じよう。